任天堂とスクウェアの仲違いの理由

任天堂の据え置きゲーム機(ハードウェア)といえば、ファミリーコンピュータ(ファミコン)やスーパーファミコン、NINTENDO 64などがあります。ファミコン前世期の時代に誕生したのがゲームソフトメーカーのスクウェアの「ファイナルファンタジー」。RPGというゲームを一般大衆に知らしめたエニックスの「ドラゴンクエスト」に影響され登場したタイトルです。

以降、スーパーファミコンでもファイナルファンタジーシリーズをはじめ、ロマンシング サ・ガシリーズ、聖剣伝説シリーズそしてクロノ・トリガー。とくにクロノ・トリガーはドラクエの堀井雄二・鳥山明とファイナルファンタジー(FF)の坂口博信がタッグを組んで登場したRPGで、今もなお愛される名作です。

そして1996年には任天堂とスクウェアがタッグを組んだ作品スーパーマリオRPGが登場します。初のマリオのRPGということもあり、キャラクターもストーリーも完成度が高く未だに評価される作品です。一部でスクウェアのFFのBGMが採用されるなどコラボレーションで当時の子供達は非常にテンションが上りました。

ここだけ見ると任天堂とスクウェアとの関係は良好に見えますが、このあと関係が分裂。任天堂のハードからスクウェアのソフトが発売されないことになります。なぜこのような経緯になったのでしょう?

NINTENDO 64とPlayStation

任天堂とスクウェアの関係悪化のきっかけの1つにスクウェアが次世代機のプラットフォームとして任天堂のNINTENDO 64ではなく、SCEのPlayStation(PS)を選択したことにあります。

任天堂はカセットのROMカートリッジ方式を、SONYはCD-ROM方式を推し進めていました。ROMカートリッジは読み込みが高速でコピーが難しいという利点がある反面で容量が少ない上に製造コストが高いという欠点がありました。任天堂はゲームテンポの良いユーザー体験を実現させるために従来のカセットのROMカートリッジ方式を継続したことになります。一方CD-ROMは容量が大きく製造コストが低い反面読み込みが遅く、違法コピーしやすいという欠点もありました。

スクウェアは大容量のデータや映像を扱うFFを制作しており、開発の自由度やコスト面を考慮しCD-ROMを採用したPSに魅力を感じました。これを聞いた任天堂の山内社長は「ゲームメーカーがどのハードでソフト開発するのかは其々自由である」との旨の発言をしており、問題にはしていません。ところが…

任天堂とスクウェアの関係が悪化

その頃スクウェアは「デジキューブ」と呼ばれるコンビニでのゲームソフトを販売する会社とサービスを開始しました。従来のゲームショップや玩具店などの流通経路とは別の販売方法を行いう画期的なものでした。このときスクウェアは

「任天堂お前はダメだぁ!」

…とまでは言ってないとおもいますが、スクウェアが任天堂のビジネスモデルや任天堂の流通構造を真っ向から非難するような発言をします。これが任天堂の山内社長の耳に入ったことで任天堂が激怒。以降、スクウェアは任天堂から出禁状態となり任天堂のハードウェアからスクウェアのソフトが出せない状態となりました。そしてスクウェアはスーパーファミコンで発売した「トレジャーハンターG」を最後にPlayStationを主軸にソフトウェア開発や発売をするようになります。

このような信頼関係、取引体制の欠如が任天堂との決別の原因として挙げられています。

任天堂とスクウェアの関係復活へ

スクウェアは、ゲーム事業とは別にクロスメディア展開の一貫として2001年に映画『ファイナルファンタジー』を公開します。ハリウッドの映画会社やスタッフとも手を組み、全編3DCGを駆使した映画で国内では文化庁メディア芸術祭の審査委員会特別賞を受賞しています。しかし、巨額な制作費1億3700万ドルを投じて作り上げたこの作品は興行収入的には大失敗に終わり、スクウェアは巨額の赤字を抱え経営危機に陥ります。この責任を取る形で、スクウェアの社長だった鈴木尚は責任を取って辞任します。

その後社長に和田洋一が社長として就任。スクウェアの経営体制を見直し、経営再建の一環として任天堂・山内社長との関係修復にも注力します。従来の経営姿勢を改めて任天堂の担当専務との話し合いの機会を模索するなど抜根的な解決に動き出しました。

2002年、任天堂の山内社長が社長引退の際に私財を投じた個人投資ファンド「ファンドキュー」が設立されます。これはベンチャーゲーム会社を支援する目的のファンドです。このファンドキューからスクウェアの子会社であるゲームデザイナーズ・スタジオに融資の話が持ちかけられ、任天堂のハードウェアであるゲームキューブからFFのスピンオフ作品「ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル」の開発につながるのでした。実質約10年ぶりの任天堂ハードからのFFとなりました。このゲームデザイナーズ・スタジオはスクウェアのペーパーカンパニーであり、実質任天堂とスクウェアの関係修復のための支援だったのでした。

この作品は、ゲームキューブとゲームボーイアドバンスを連動させて最大4人同時プレイすることが出来るという画期的なシステムのアクションRPGとであり、久々の任天堂ハードのFFということもあり話題になりました。

なお、このファイナルファンタジー・クリスタルクロニクルは開発はゲームデザイナーズ・スタジオでしたが、発売は任天堂からとなっています。そして任天堂の代表の山内溥社長は引退し、岩田聡社長へと変わります。従来の任天堂は山内家の一族経営でありましたが、ここで岩田聡へと変わるのです(この岩田聡はカービィシリーズなどで知られるハル研究所の経営建て直しにも貢献している凄腕です)。

2003年にはスクウェアの会社も大変革が起きます。それはドラゴンクエストシリーズで知られるエニックスとの合併で、これで誕生したのが現在のスクウェア・エニックス(スクエニ)です。これによりスクウェアとエニックスの双方のIPの融合と、ビジネスのシナジーを生み出すことが期待されるようになれます。

任天堂の山内社長が退任したあとの任天堂の経営は岩田社長に任せるという姿勢だったため、スクウェア(スクエニ)との取引にも口出しをしないことになりました。合併したエニックスの後ろ盾もあったことで、任天堂とスクウェアの関係の信頼回復と再構築がより進むことになります。

長期にわたり任天堂とスクウェアは絶縁状態になりましたが、スクウェアの経営体制の見直しや双方の歩み寄りなどが功を奏し和解&関係修復となりました。任天堂のゲームキューブやゲームボーイアドバンスや次世代プラットフォームで発売されるスクウェア・エニックスのタイトルが楽しみですね。

トップページへ戻る